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2004年08月19日

はじめに・・・

今月は、当サイト管理人が知っている日本橋界隈のことをブログ(日記)形式で書いていこうと思います。正直申しまして管理人は、日本橋にはたまに仕事で行く程度で、日本橋の通というわけではありません。しかし、第三者的な視点の情報を掲載するのも、この「くちコミ掲示板」の趣旨にあっていると思いますので、拙い文章ではありますが、8月の間は、管理人ががんばって書かせていただきます。とりあえず、明日から(できれば毎日・・)更新していきます。この連載を目にした方は、コメントなどつけていただければ嬉しいです。

9月以降は、印刷工業組合日本橋支部の皆さんが、書いていくことになろうかと思います。地元の皆さんですので、よりディープな情報が掲載されると思いますのでご期待ください。

投稿者 : 2004年08月19日 23:54

管理人ご苦労様です。
毎日見に来ますので、がんばってください。

投稿者 さくら : 2004年08月21日 15:55

ありがとうございます。
ネタが続くか、多少不安もありますが、がんばります!

投稿者 管理人 : 2004年08月21日 21:49


  お江戸日本橋 七つ立ち 初のぼり 行列そろえて アレワイサノサ
  コチャ 高輪 夜あけて提灯けす コチャエコチャエ
  六郷わたれば川崎の万年屋 つるとかめとの 米饅頭
  コチャ神奈川 急いで保土ヶ谷へ コチャエコチャエ

天保年間の流行歌「はねだ節」が元唄。
「こちゃえ節」ともいわれ明治初期から流行したそうです。

「七つ立ち~」というのは明け方の4時に日本橋を出発するという意味で、
江戸時代は各所の木戸が閉められ夜間の往来が制限されていました。
「寅の刻、七ツ」に木戸が開き通行を許されます。
早く出発したくても出発出来ず、行列を作って七ツの鐘がなるのを待っていた訳です。

奉公人が薮入りで初めて上方方面に帰郷することを「初のぼり」と言いました。
現在は上野行きが「のぼり」ですが、江戸時代は「京の都」を起点とし
日本橋から東海道を行く時は「のぼり」と言います。
ですから「上方」とか「京にのぼる」と言いす。

六郷川(現在は多摩川)を渡って間もなくの場所にあった万年屋は、
「つるかめ饅頭」や「奈良茶飯」で有名でした。
大豆、小豆、粟、栗などをお茶の煎じ汁で炊き込んだ飯で、
シジミの味噌汁が付いていたそうです。
万年屋はアメリカ領事・ハリスも宿泊したほどの一流旅宿でしたが、
鉄道の発展によって衰退し現在は新六郷大橋のたもとに
跡地を示す説明版が残っているだけです。

投稿者 お江戸日本橋  : 2004年08月29日 12:32

管理人は、子供の頃からずっと
「お江戸日本橋、七つ橋」だと勘違いしていました。
日本橋には、7つの橋があるという歌だと思っていました。
それと、上りと下りが今と逆だったんですね。
時代が変われば、常識も変わる・・・
いやぁ、勉強になります。

投稿者 管理人 : 2004年08月29日 20:44

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